わたしがあなたがたを選んだ(ヨハネ15:16)

19歳で受洗した私は、毎年黙想会に参加してはいたものの27歳の夏までずっと迷える子羊であった。-以前そこの寮生だった修道会で召命黙想に預かった。この黙想で将来の道の選定をしたいと願っていた。

指導司祭は、修道召命に力を入れておられ、最終日に修道召命を感じている人たちを呼び集め、神さまから頂いた大きな恵みを感謝し、互いに祈り、育てるよう勧められた。わたしたちは2人ずつグループになり、年に何回か会い、召命の恵みを確かめ合った。一緒にその黙想に預かった九州の人は、入会したい修道会を早く探したいと杉並の聖マリア修道女会を紹介され,私も道案内として付いて行く羽目になった。それがこの修道会と出会ったきっかけである。

その日から毎週修道院を訪問し、スペイン人シスターたちと親しくなっていった。お国柄か持ち前の明るさとオープンさにいつか吸い込まれていた。決断力が鈍く、自分の思いのままに生きてきたわたしが、修道院の共同生活一つを考えても無理なのに一生そこで、その人たちと過ごせるだろうか。不安もあり、何もかも神さまのみ手に人生を委ねて生きようと決心するまで更に1年を要した。神さまは、こんなわたしを忍耐強く待っていてくださった。聖マリア修道女会に入会したいと望んだのは、聖ジャンヌ・ド・レストナックが教育修道会、特に子女の教育を主とする修道会の創立者であったこととマリアさまのみ名を頂いている会だったからである。それは、長年かけて見つけた天職が幼児教育だったことと受洗の時マリアさまのように「お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1:38)とみ旨が行われるよう本気で祈ったことが叶えられたからでもある。

ところが、父は修道院へ入ることに猛反対で勘当同然だったが、入会直前に「もし、修道生活が自分の道でなかったら、いつでも家へ帰って来なさい。」と言ってくれたことが、わたしにとって大きな救いだった。帰る場所がある、待っていてくれる家族がいると思うと急に勇気が湧いてきて、今まで重荷を感じていた全ての事が取りのけられ、心が軽くなった。親心があり難く、身に染みて「では、行ってきます.」といさぎよく家を出たものの心では泣いていた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、…自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、わたしの弟子ではありえない。」(ルカ14:25〜27)別離のつらさ,痛みをぐっと堪えて後ろを振り向かないで前に進んでいこう。これが神さまの導きであり、聖霊が常にわたしと共にいてくださるからと自分に言い聞かせた。

聖マリア修道女会に着くと、8人のスペイン人シスターと2人の日本人志願者が待っていて、温かく迎えてくれた。「これからは、この修道院がわたしの家、わたしの家族、神さまありがとうございます。わたしのために祈りと犠牲と援助をしてくださった多くの方々のお蔭で今日のわたしがあります。」人間一人ひとりは、神さまにとって価値があり、生きる意味があることを実感しているこの頃である。

林 範子odn.